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Cable and Wireless ( リダイレクト:ケーブル・アンド・ワイヤレス ) : ウィキペディア日本語版
ケーブル・アンド・ワイヤレス
ケーブル・アンド・ワイヤレス (:en:Cable & Wireless plc) は、世界80カ国で事業展開した電気通信事業者。略称はC&W。イギリス産海底ケーブルのパイオニアであるジョン・ペンダーが創業したイースタン・グループの主力会社。国策事業につき本社はイギリスにあり、主要な事業領域としてイギリス、ヨーロッパ大陸カリブ海パナマ中東マカオである。バークレイズロスチャイルドを経営顧問とした〔
:同日付の日本語版では削られている。ブルームバーグ 英ボーダフォン、C&W買収で合意-1360億円規模 英ボーダフ 2012/04/23〕。2012年7月いっぱいでボーダフォンに完全買収された。
== 沿革 ==

* 1868年 - イギリスの電信買収法、電信の国有化に伴い電信会社の株主らに800万ポンドの補償金を充当〔Charles Bright "The Extension of Submarine Telegraphy in a Quarter-Century" ''Engineering Magazine'' December 1898, pp.417-420〕。
* 1869年 - ペンダーが''Falmouth, Malta, Gibraltar Telegraph Company'' と ''British Indian Submarine Telegraph Company'' を設立。
* 1870年 - 大北電信会社と勢力圏を協定。大北の営業圏は香港以北、大東は上海以南とした。営業圏の重なる香港-上海間は協定によって利益配分された。5月14日付タイムズ紙より。この談合は大北が長崎へ進出する足場となった。
* 1872年 - ''Marseilles, Algiers and Malta Telegraph Company'' を含めた3社がペンダーを会長としてイースタン・テレグラフ・カンパニー(大東電信会社)へ統合される。この頃、同社の海底ケーブルはポースカーノからジブラルタルマルタスエズ運河アデンを経由してボンベイに至る長さであった。エシュロンの布石となる国策企業であった。
* 1889年 - ペンダーは詐欺師のジャベツ・バルフォアと組んで''Metropolitan Electric Supply Co.'' という電力会社を経営しており、この年に商務省からロンドン中心部の4箇所に電力の独占供給を許された。4箇所とは、リンカーン法曹院コヴェント・ガーデンメリルボーンブルームスベリー。こうした権益は送電網の合理化においてロンドンがベルリンに遅れる原因となった。
* 1902年 - 12月14日、大東が半分、大北が1/4出資する''Commercial Pacific Cable Company'' がサンフランシスコとハワイを結ぶ初の太平洋横断電信ケーブルを敷設。翌年に、ハワイからミッドウェー経由でフィリピンまで延伸。
* 1929年 - 4月8日にマルコーニ社および英国通信事業と合併しケーブル・アンド・ワイヤレスに社名変更。
* 1938年 - 第二次世界大戦突入時に切断すべき、ドイツ・イタリアの海底ケーブルリストを作成。イギリスは戦中ドイツ帝国のときのように、まずドーバー海峡のドイツからスペイン、ポルトガル、アゾレス諸島にのびるケーブルを切断した。イタリアの宣戦布告を受けては、地中海と大西洋のイタリアケーブルを切断した。
* 1939年 - ミュンヘン会談で検討されていた「監視計画」を開始。1920年の公職機密法に規定されていた権限を全世界に適用。検閲、ケーブル監視、無線傍受により、エニグマ (暗号機) を除く世界の通信を監視下においた。
* 1940年 - 2-4月英仏間で切断したケーブルのあつかいについて協議。社長のエドワード・ウィルショウがイギリス政府に建議、ドイツ・イタリア・フランスの大西洋ケーブルを切断し、新たに英国=ジブラルタル=アゾレス=アメリカを連結するケーブルの敷設を主張。連合国であるはずのフランスだが、ケーブル・アンド・ワイヤレスはフランス領西アフリカとラゴス間のケーブルを切断した。
* 1945年 - 6月、BBCレイス卿を議長として自治領の代表者が集まり''Commonwealth Telecommunications Conference'' が催され、ケーブル・アンド・ワイヤレスを国有化する計画の大枠が決定した。ケーブル・アンド・ワイヤレスはそのまま2年後に国有化され、郵政庁に吸収された。その後、同軸ケーブルによる海底電話ケーブルをアメリカなどの企業と開発するようになった。
* 1980年 - マーガレット・サッチャー民営化方針が打ち出され、翌年に政府が保有株の半分を売却した。
* 1982年 - 2月、BTグループの対抗馬として、政府はケーブル・アンド・ワイヤレスの子会社マーキュリー・コミュニケーションズに通信事業をライセンス。バークレイズとBPもこの子会社に出資。
* 1984年 - ケーブル・アンド・ワイヤレスがバークレイズとBP 保有のマーキュリー株を買い戻し。
* 1987年ごろ - マーキュリーが''TDX Systems'' を完全買収。
* 2000年 - ケーブル・アンド・ワイヤレスがハイパーリンク・インタラクティブ(現・ウェブテクノロジーグループ)を買収。
* 2001年 - 倒産した''Exodus Communications'' を買収。MP3.com も参照。
* 2004年3月 - アメリカの国内事業を売却するが、国際通信ビジネスは継続。
* 2004年8月 - 資金決済システムにおけるスイフトネット独自の運用コードと協調稼動していたことをケーブル・アンド・ワイヤレス側が発表。スイフト側は、こうした連携が産業での資金運用を分かりやすくしてくれるので、金融機関はスイフトネットを使った投資にレバレッジを一層かけやすくなるとコメントした〔Finextra Cable & Wireless goes live with Swift operating code for Real Time Nostro service 25 August 2004〕。
* 2004年10月 - 日本法人であったケーブル・アンド・ワイヤレスIDCは、国内事業部門のIDCをソフトバンクグループに売却。現IDCフロンティア
* 2005年2月 - 日本法人をケーブル・アンド・ワイヤレス・ユーケーとする。日本支店を千代田区大手町に置き、国際通信サービスを提供中。
* 2007年 - 2月、ウェブテクノロジーグループなどを売却。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cable & Wireless Worldwide 」があります。




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